エレファント・マンを観劇しました

 ※あらすじというよりも観劇までの経緯や感覚的な感想、英語の小説と異なった部分に多少触れつつ書こうと思います。

 

 最初のんちゃんにこの舞台が決まった時、衝撃だった。特殊メイクなしでやるというのも、衝撃。だって、WESTの中でもモデル体型のイケメン担当(自称)の彼が、外見のおぞましさから誰からも奇異の目にさらされて運命に翻弄されるという役をやるのは、不自然以外の何物でもないから。むしろそのキャスティングから風刺が込められているのかなと思うぐらい(これは合ってたとパンフ見てわかった)。

 

 しかもニュースなどで知って行くと彼は顔と体を自ら歪ませて演技をするという。それで2時間の舞台を多ければ1日2回、1か月続けるという。いくら若い彼とはいえ、相当体に影響あるだろうし、そもそもその演技をどこまで表現出来るのか、という懸念もあった。

 

 のんちゃんのお芝居が上手いのは最近の作品を見ても分かるし、感情込めたお芝居が出来ることも分かってたけど、この役は特殊。特殊すぎて、これをやり切ったら彼の俳優としてのレベルも評価もぶち上がるだろうとは思ったけど。

 

 初日が終わって夜に感想ツイートを検索してみたら、凄い、驚いた、泣いた、など絶賛の声とともに、アイドル小瀧望を期待した一部の女子からの勘違い発言なども見られた。彼女達はただ観劇するレベルに自分達が達していなかったことを嘆いたらいいと思うけど、とにかく小瀧君が絶賛されているのは理解した。彼はちゃんとものにしたんだな。さすが厳しい監督にもよくここまで来たなと褒められるだけのことはある。

 

 英語版の小説を読んではいたんだけど、小説では前半ほとんどメリックは話さない。こわくて話せない、ほぼうめき声だけ。だから舞台だけどのんちゃん前半セリフあるん?って思ったし、虐待の内容があまりに酷いので、どこまでやるんだろう、とも思っていた。

 

 この舞台を観劇したかった理由は、スーパー正直に言うと、当選していたライブチケも水の泡になり、従来のライブがまた再開されるのいつなんだろう、という状況の中、生きて動いているメンバー(そりゃ生きてる)を見てみたいというミーハーな気持ちもあった。そこはもう本当なんの言い訳もしない。父に紹介されて子供心に衝撃を受けた作品だけど、WESTきっかけで観劇したのは事実。

 だけどガッツリ小説を読んで、これをやるのか…と驚いたり、感想を見たりすると、これは小瀧望に関する情報をリセットして行った方がいいのかな、とすら思い直したりしながら。開演を迎えた。

 

 そして観劇。

 いざ始まったらそんな心配とかすっ飛んだ。何も考えなくても開幕一瞬でその世界に引き込まれたので、生小瀧望を見るという前提が頭から自然と消え、フラットに観劇できた。小瀧君はあの作品の核となる俳優として捉え、邪念なしに物語を追っている自分がいた。

だから出てきた感想は、


この劇は自分の鏡みたいだなと。


 受け取り方感じ方で自分の人間性を突きつけられるような、そんな感覚だった。冒頭からグサグサと刺さる言葉がある。後半に行くにつれそのアイロニーがダイレクトによりダイナミックに観客に投げかけられる感じだった。正直分からない部分もあったし、英語の小説版とは違う部分も多かった。その分からない自分、というものに対して「まだまだ自分の理解は浅いんやな」と思うこともあった。私は本を読むのは速い方だし、本の種類によっては「読んでる?」って言われる読み方をしている。そんな自分が1ページ読んで内容を噛み砕くのに10分も20分もかかる本がある。多分その激重い本の類に似た何かをあの劇にも感じた。

 

 ただおそらくその分からない部分のいくつかは「余白」で、見た人が自由に想像していいスペースなのかもしれない。貴方ならどう?と。事実メリックのセリフにはとても問いかけが多かった。純粋な彼が抱く疑問。それが「普通に幸せに成功している」はずの人間の心を貫く。いかに浅くあまり考えずに生きてた人間には、メリックの問いかけに答えられない。それに自分の浅はかさを思い知らされ、その事実に耐えられなくなるのだ。

 

 私は浅はかで保身的な自分と純粋な部分を大切にしたい自分、どちらもこの劇を見ることで再確認することができた。それと、「見えない」ことが良いこともあるし、所詮人は自分の感覚で知覚出来るものしか判断基準に使えないし、使わないという事を、メリックのあるセリフで感じた。その知覚出来るもの範囲外のことは、その人にとってはどちらでも良いことなのだと。

 

 私は視覚障害を持った生徒を1人教えている。彼女だったらどんな事が楽しいか、どうしたら学習しやすいか、いつも考えるけれど、目を閉じたってどうしたって彼女と同じ風にはなれない。だって見えない分彼女の方が聴覚も感覚も優れているから、私には気にならない音や触覚の良し悪しがある。そこはどうしても自分には達せない。そしておそらく、人の声のトーン、発する言葉をより鋭く受け取り誰がどんな人かを判断しているだろう。彼女には私はどう写っているのだろう。いい人間なのか信用ならない人間なのか、どう思われているんだろう。作り笑顔の絶対通じない彼女に。そんな事を考えた。

 

 メリックを取り巻く人達は分かっていただろうか、彼が自分達に持ち得ない優れた部分を沢山持っていた事を。外見に注意をそらされて彼という人間の本質的な部分にどれだけの人が意識を向けていただろう。外見が違うだけでそれを除いて全く自分達と同じ、いやむしろとても魅力的な人物なのに。それに気づけないのが大衆でかつ愚の骨頂なのだろう。そういうメッセージは少なくともあったんじゃないかなと思った。もっとしっかり飲み込みたい作品だった。

 

 どの役者さんも素晴らしかったし、9人のキャストで様々な役をこなしていて、そこも見どころだった。小瀧君はジャニーズなのにとかアイドルなのにって枕詞につけられるのももうナンセンスな程に、体当たりで、舞台俳優としての彼を確立していた。想像を優に上回るお芝居。ターニングポイントであり新しいキャリアの幕開けになるだろうなと、本当に喜ばしいなと思っている。

 

 パンフレットがまたとても良かった。森監督と小瀧君の対談で、体への負担が大きい役で体を大事にしないと、という話の流れで、

「でも本当、肉体的にも精神的にも、しんどくなったら抱え込まないですぐ言ってよ。みんなで考えるから。」

と森監督が。「みんなで考えるから」っていう所に、こちらの監督さんは厳しいイメージばかり耳にしていたけど、実のところとても人間愛の深い温かい人なんだろうと思った。この一言からもそれを感じる。一緒にいる小瀧君やカンパニーの皆さんはもっとそうだろう。舞台裏がアットホームで和やかと聞いたけどそれも分かる気がした。

 

 私の生で見るWESTは小瀧君となったけど、いつか残り6人にも絶対会ってやる。特に黄色のあの人に会うまで私は死なない(笑)!これがバイタリティに繋がるのだ。幾つになっても気持ちが大事。それが体を突き動かしていくから。

 
 小瀧君の素晴らしい舞台役者姿を見て、WESTは皆違う路線でそれぞれ味のある役者さんになりそうだなと、今後に期待が膨らんだ。劇場は10代ぐらいの女性から年配の男性も結構来てらして、色々な層の人にこの劇が見られたのは今後の活動に広がりが出来ると思う。

 

 1度ではまだ気になる部分があったので、配信も見て是非とも色々再確認したいと思う。それまでにもう一度小説を見直すことと、ロミオとジュリエットを読もうと思っている。