ようやく駅を出た電車の行先は

 自分の気持ちに正直に生きることが、

結局周りの人の幸せにもつながると言う事。

逆は不幸に繋がりうるという事。

 

 

 これを痛感してから私は少し変わり始めた。少なくとも大きな決断に関しては頭で考えず心に聞くようにした。シンプルに言うと好きか嫌いかやりたいかやりたくないか。自分の心が赴くかどうか。誰かに相談するということも、本来あまりしなかったけど(アドバイスと違う決断をしたときの友達の反応が怖かったから)、それまで以上にしなくなった。

 

 

 今の主人と出会ってからも、時々ふいにわけもなく泣いたりしていた。出産の時は痛かったけれど、「あの時の辛さよりマシ、肉体的苦痛の方がマシ!」そう思って乗り越えていた。二度と経験したくない地獄のような離婚後のあの期間よりも体の痛みの方が耐えられた。

 

 

 結局自分のやりたいこと、叶えたいこと、なんだったんだろう。今でもわからないけど、歌うのがほんとに好きで、一時期ボイストレーニングに行っていたことはある。ただ楽器が弾けるわけじゃないし、アイドルみたいな容姿じゃないし、歌える人なんてざらにいるのに意味ないよなって、やめてしまった。

 

 

 それで良かったのにな。周りがどうこうじゃなくて、自分が何をやりたいか、自分の人生なのに、それを自分で決めるのが怖かったんだろう。失敗するのも、失敗した自分に向き合って立て直すのも面倒だし怖かったんだと思う。

 

 

 だから自分の意思をはっきり言えたり将来の夢を言い切れる子を見ると本当に嬉しくなるし、その気持ちのまま行って欲しいなと思う。

 

 

 そして夢を持ってもその夢が途中で変わっても良いと思うし、その時々の自分の気持ちに正直に生きることができたら、それが可能なら、なんて幸せなことだろう。

 

 

 

 私は筋トレしたりダイエットしたりするけど、それは首から上が好きじゃないから。体の形は、少し頑張れば愛せる気がした、だからボディメイクはやってみようと決めたの。

どこか自分の外身の部分で好きになれるとしたら、体型の方だから、そこは頑張って磨こうと思ったんだ。顔は工事せんと変わらんけど()体はやり方次第で変えられるのが、夢があるなと思ってる。

 

 

 勉強も、他に取り柄がなかったから学生時代から頑張った。親はあまり成績に興味がなくって褒められることもなかったけど(よかったね〜で、おしまい)、学校の先生は褒めてくれたから。周りの友達もすごいって言ってくれたから。そして何よりその時培った、勉強をしんどいことマイナスなことに捉えない、自分のプラスになると捉えられるスタンスは今もとても役に立ってる。動機はネガティブだけどね、結果がついてきたからいいんだ。昔の負けは今の勝ち、それもあり。

 

 

 

 勉強や筋トレは、チームプレーではないし、誰にも迷惑かけず自分の努力で自分の知識や体がグレードアップする。そもそも人に迷惑をかけたくない性格の自分にはこのソロ活動は何の心のハードルもなく気兼ねなく取り組むことができる。

 

 

 

 今は職場でもSNS上でもポジティブな人ぽく思われることが多いけど、本来は引くほどネガティブ(でしょう?)。かな多さんも書いてた、ネガティブ発のポジティブ行き。言葉にはしていないけど、ネガツイを見て、正直同じこと思ってるわーと感じる事はしょっちゅうです。

 

 

 でも、年齢も周りで病気が増えたり、自分もいつどうなるかわからない年頃。その事実が、今まで無駄にいろいろ抑え込んできた自分の我儘や願望に羽を与えている。知恵もついたから、我儘も、節度を守ってやってるつもり。

 

 WESTに共感するのはね、彼らの前向きさよりも、その背景に絶対あるであろうネガティブな部分が見えるから。性別も年代も生きる世界も違うのに、同じ匂いがどこからともなくする。それが彼らから目が離せない理由。

 

 

 苦しさ何周も回って開き直って、向くところが他にないから結果前を向いた、そんなポジティブ。多分彼らの過去を知らなくても、彼らがネアカじゃない事は分かったと思う。苦労知らずの脳天気ではないから、人の心に寄り添う言葉が言えたり、曲がかけたりする。会話を聞いていても伝わる。

 

 

 淳太君に憧れてるのは、自分もそういう風に「振る舞えたら」いいなって、願望があるから。苦手な事も得意な事も全部さらけ出して、コレが俺だよ、好きな人はついてきてねよろしく!そんな逃げも隠れもしないスタンスが、自分に確実にない所で、とても清々しい。そして元からそんな性格でも無さそうな、彼もまた本来ネアカじゃないだろうところも、自分の心を刺すのだ。勝手に、無理してないんだろうかって心配してしまう(きっとしてるよなぁ、本当に強くて優しい人だ)

 

 

 という感じで今に至る。辛い経験は、きちんと自分の経験というカテゴリに落ちた時、何よりも強いお守りになった。これ以上しんどい事ないだろう、あれ乗り越えたから多少の辛さは耐えられるぞ、そんな「どん底とはどこか、の目安」みたいになる。WESTはデビューの時にそれを乗り越えてるよね。彼らの強さの理由は、何年経ってもやはりあの出来事だったと思うよ。どん底の基準を持つと人は強くなれる。

 

 ガラスを飲み血を吐くような日々も、意味があると信じてる。もし今どん底の人がいたら、それはいつか自分のお守りになるから、思い切り苦しんで、泣いて喚いても良いからなんとかサバイブしてほしい。そこを抜けたら、いつか痛みが自分の強さに変わるから。