今日ふいに泣いてしまった、その理由

 いつもジャニーズWESTの中間君、と紹介される番組で、今日、「中間淳太さん」と名前だけで紹介されていた。

 

 その瞬間、急に顔の筋肉がきゅうっとなって、思いがけず泣いてしまった。(番組のせいじゃないよ!)


 なんだろうこの感情は、所属も名前も関係ない、私はあの7人が揃うグループが好きなだけだ。そう分かっているのにこんな気持ちになるのはなんでだろうって。

 

 涙の理由を考えたら、理由がわかった。

 

 関西のJをまとめてジャニーズWESTっていうんよね?とか、関ジャニWESTやっけ?とか、なかなか名前を覚えてもらえない事から、ジャニーズWESTの7人はいつでもどこでも、曲紹介の時すら「グループ名を覚えて欲しい」ってどの他のグループよりも名前を叫んでいたと思う。個人仕事でも、名刺の肩書きのように好きあらば自己紹介に挟んで。メンバーのエピソードも隙あらば添えて。

 

 杉村春子賞の授賞式、のんちゃんがタキシードで堂々と名乗っていてたのも覚えてる。
全ては個人仕事をグループの知名度にも繋げるため。名前を覚えて貰いたいためだったはず。


 そんな日頃人一倍必死に呼んできた名前を、
自分達にはどうにもならない理由で
「明日から使えないよ」って突然言われたら。

どうしたらいいのだろう。

 

 名前を聞く事で傷つく人がいるのは勿論配慮すべきだ。でもその裏で違う形で傷ついたり変化を強いられる人もまた別にいる事、そんな人の気持ちが置き去りにならない事を願う。


 私は7人を支持する事と名前が変わる事を分けて考えてたけど、あの子達の9年の経験と持ち物に毎日伴ってきた名称なんだ。何度もアピールしてきた、浸透させようと頑張ってきたグループ名なんだ。簡単に割り切れるわけないよね。

 

 たかがファンでこんな気持ちになるのに、渦中の彼らがどんな心持ちでいるのか。これからその話題に色んな所で触れられたりするだろう。傷を、見ないふりする人、優しく触れる人、塩を塗る人抉る人、色々いるだろう。まともに考えたら苦しくて。割り切って笑えたら良いのか?まだその域にはなれない。

 

 歌番組で大きな声で元気よく自己紹介してた、しげちゃん。バラードとか雰囲気に合わない時以外ほぼ欠かさずイントロに自己紹介をねじ込んでたしげちゃん。ジャニーズWESTでーす!飴ちゃん投げまぁーす!ってバカデカ声で飴ちゃん投げながらええじゃないか歌ってた時もあったな。大好きだった。ずっと覚えてるからね。

 

 私は確かな事は知る由もないし誰も何も責められない、反対も賛成もするつもりはないし、できない。けど、ファンより会社より近い友達や家族より、誰より当の7人が愛着や思い入れを(今となっては悔しさや苦悩も)持ってきた名前なんだって事は想像できて、彼らの気持ちを考えたらやりきれない。そう感じる自分の気持ちの傷みは綴っておきたくなった。

 

 彼らはこれまでどんなに悔しい事があっても冗談にしたりいつも明るく振る舞ってきてくれたけど、悔しさや悲しみを心の中に置き去りにしないで、大切にして欲しいと思う。謙虚過ぎるし正直我慢しすぎだと思ってる。


 会社の風通しが良くなったなら、そんな苦悶も受け止めてもらって欲しいな。10年、めちゃくちゃ頑張ってきたやん。報われるどころか、ここにきてデビュー以来最大の危機に直面するって、そりゃないだろうよ。前世で大層酷い事をしたのだろうかと疑うレベル。

 

 あんまりネガなポストは見たくない人もいるだろうから、ブログにしたよ。でも思う事は書きとめておきたいし、自分もガス抜きしたいから。長文ここまで読んでくれた方、ありがとうございました!

私のとある戦いとその結末

 

今日、私の2年越しのモヤが晴れた。

 

2年前ぐらい、酔った旦那がポロッと私の方を見て口にした言葉。


「俺、昔写真の仕事してた時は美人のモデルとかいっぱい知り合いおったのになぁ...なのになんでこうなったんやろ...」


この言葉が私、衝撃的でフリーズしちゃって。

 

『よりどりみどりだったかもしれないのに、何故地味で垢抜けないこんな女と結婚したんだろう。』

 

言われなくても言わんとする事が分かった。

 

すごく嫌だった。そして、反論出来なかった。

 

ひとつは、ショックで言葉を失ったから。

 

あと、酔っ払ってる時の彼は言った事を覚えてないし、翌日になればどうせ言った事も私が傷ついた事も忘れるんやんな、って思ったら、何も言えなかった。

 

だから私、変わってやろうと思ったんよね。ムカつくから。

 

少しずつ冷静になっていく心と頭の中で、変わってやろうじゃんか、と火がついたのは確か。

 

そこから、少しずつスキンケアを意識するようになって。ジャスミンさんと交流するうちにカラフルな服を選び始めて。髪もちゃんと美容院行くようになって。ダンスで体絞って筋トレを始めて。Oggi載ってたコスメ使って。髪も巻けるようになって。

 

歳も歳だしやっても知れてるんじゃないかとか、元のスペックは変わらないとか、重々理解してた。でもそういうマイナス思考を全部捨てた。進めなくなるから。

 

人と比べるのも無意味だから考えないようにした。だってこれは私の、私の中の私を塗り替えるための戦いだから。自己中でいい、人は見ない、自分の変化だけに集中して。努力で変えれるところ、お金かかけずに変われるとこはとことんやってやろうと。

 

最近、コロナ前ぶりに会う友達から、痩せたねとか雰囲気変わったねとか言ってもらえるようになってきて。あ、変わったのかなって感じることが時々あった。

 

で、今日旦那の参加する展示会に行ったの。お世話になってる人に差し入れとか持っていっとかなあかんかなって。


そしたら旦那、会社の人から(3年ぶり位に会った人)「奥さん垢抜けたね、綺麗になった。男いるんじゃない?」って言われたらしい。まあマスクで顔は半分見えなかったから顔は誤魔化してるけど(笑)。服装と体型はだいぶ変わってるはず。

 

「そうかな〜?筋トレしてるしな〜。他に男?おらんよ(推しはいるけどなw)」って言いながら、心の中でガッツポーズをした。報われた気がした。

 

多くの人は褒められると伸びるけど、貶されて、それをエンジンにして変われる事もある。主人は人生の伴侶で勿論愛しているけど、あの時受けた傷を自分で治癒した事は、心の中で1人スカッとジャパンしとこうと思いました。

 

誤解のないように旦那をフォローすると、あの時ムカついたけど、自分を見直すきっかけにもなったし、恨んでもいない。職人気質で人付き合いも不器用だけど、色んな事が出来てユニークで、肝心な時に頼りになる人なので。

あと、こんな事言う割に凄く私の事が好きらしい(本当かよ)と共通の友達から耳にするので、

言うならそういうのを面と向かって本人に言えよと思いますね。

 

長々と綴りましたが、人は、変われる。いつからでも。そう、身をもって今日感じました。

嬉しかった。体づくりも育児も仕事も勉強も頑張って(無理なく)、総合的に素敵な女性になるのが次の目標です。自分が好きな自分でいたい、それはきっととても幸せな事だと思うから。

ようやく駅を出た電車の行先は

 自分の気持ちに正直に生きることが、

結局周りの人の幸せにもつながると言う事。

逆は不幸に繋がりうるという事。

 

 

 これを痛感してから私は少し変わり始めた。少なくとも大きな決断に関しては頭で考えず心に聞くようにした。シンプルに言うと好きか嫌いかやりたいかやりたくないか。自分の心が赴くかどうか。誰かに相談するということも、本来あまりしなかったけど(アドバイスと違う決断をしたときの友達の反応が怖かったから)、それまで以上にしなくなった。

 

 

 今の主人と出会ってからも、時々ふいにわけもなく泣いたりしていた。出産の時は痛かったけれど、「あの時の辛さよりマシ、肉体的苦痛の方がマシ!」そう思って乗り越えていた。二度と経験したくない地獄のような離婚後のあの期間よりも体の痛みの方が耐えられた。

 

 

 結局自分のやりたいこと、叶えたいこと、なんだったんだろう。今でもわからないけど、歌うのがほんとに好きで、一時期ボイストレーニングに行っていたことはある。ただ楽器が弾けるわけじゃないし、アイドルみたいな容姿じゃないし、歌える人なんてざらにいるのに意味ないよなって、やめてしまった。

 

 

 それで良かったのにな。周りがどうこうじゃなくて、自分が何をやりたいか、自分の人生なのに、それを自分で決めるのが怖かったんだろう。失敗するのも、失敗した自分に向き合って立て直すのも面倒だし怖かったんだと思う。

 

 

 だから自分の意思をはっきり言えたり将来の夢を言い切れる子を見ると本当に嬉しくなるし、その気持ちのまま行って欲しいなと思う。

 

 

 そして夢を持ってもその夢が途中で変わっても良いと思うし、その時々の自分の気持ちに正直に生きることができたら、それが可能なら、なんて幸せなことだろう。

 

 

 

 私は筋トレしたりダイエットしたりするけど、それは首から上が好きじゃないから。体の形は、少し頑張れば愛せる気がした、だからボディメイクはやってみようと決めたの。

どこか自分の外身の部分で好きになれるとしたら、体型の方だから、そこは頑張って磨こうと思ったんだ。顔は工事せんと変わらんけど()体はやり方次第で変えられるのが、夢があるなと思ってる。

 

 

 勉強も、他に取り柄がなかったから学生時代から頑張った。親はあまり成績に興味がなくって褒められることもなかったけど(よかったね〜で、おしまい)、学校の先生は褒めてくれたから。周りの友達もすごいって言ってくれたから。そして何よりその時培った、勉強をしんどいことマイナスなことに捉えない、自分のプラスになると捉えられるスタンスは今もとても役に立ってる。動機はネガティブだけどね、結果がついてきたからいいんだ。昔の負けは今の勝ち、それもあり。

 

 

 

 勉強や筋トレは、チームプレーではないし、誰にも迷惑かけず自分の努力で自分の知識や体がグレードアップする。そもそも人に迷惑をかけたくない性格の自分にはこのソロ活動は何の心のハードルもなく気兼ねなく取り組むことができる。

 

 

 

 今は職場でもSNS上でもポジティブな人ぽく思われることが多いけど、本来は引くほどネガティブ(でしょう?)。かな多さんも書いてた、ネガティブ発のポジティブ行き。言葉にはしていないけど、ネガツイを見て、正直同じこと思ってるわーと感じる事はしょっちゅうです。

 

 

 でも、年齢も周りで病気が増えたり、自分もいつどうなるかわからない年頃。その事実が、今まで無駄にいろいろ抑え込んできた自分の我儘や願望に羽を与えている。知恵もついたから、我儘も、節度を守ってやってるつもり。

 

 WESTに共感するのはね、彼らの前向きさよりも、その背景に絶対あるであろうネガティブな部分が見えるから。性別も年代も生きる世界も違うのに、同じ匂いがどこからともなくする。それが彼らから目が離せない理由。

 

 

 苦しさ何周も回って開き直って、向くところが他にないから結果前を向いた、そんなポジティブ。多分彼らの過去を知らなくても、彼らがネアカじゃない事は分かったと思う。苦労知らずの脳天気ではないから、人の心に寄り添う言葉が言えたり、曲がかけたりする。会話を聞いていても伝わる。

 

 

 淳太君に憧れてるのは、自分もそういう風に「振る舞えたら」いいなって、願望があるから。苦手な事も得意な事も全部さらけ出して、コレが俺だよ、好きな人はついてきてねよろしく!そんな逃げも隠れもしないスタンスが、自分に確実にない所で、とても清々しい。そして元からそんな性格でも無さそうな、彼もまた本来ネアカじゃないだろうところも、自分の心を刺すのだ。勝手に、無理してないんだろうかって心配してしまう(きっとしてるよなぁ、本当に強くて優しい人だ)

 

 

 という感じで今に至る。辛い経験は、きちんと自分の経験というカテゴリに落ちた時、何よりも強いお守りになった。これ以上しんどい事ないだろう、あれ乗り越えたから多少の辛さは耐えられるぞ、そんな「どん底とはどこか、の目安」みたいになる。WESTはデビューの時にそれを乗り越えてるよね。彼らの強さの理由は、何年経ってもやはりあの出来事だったと思うよ。どん底の基準を持つと人は強くなれる。

 

 ガラスを飲み血を吐くような日々も、意味があると信じてる。もし今どん底の人がいたら、それはいつか自分のお守りになるから、思い切り苦しんで、泣いて喚いても良いからなんとかサバイブしてほしい。そこを抜けたら、いつか痛みが自分の強さに変わるから。

ネガティブ駅始発電車いまだ発車せず

 お金沢山ためて、派手な披露宴をしたんだ。式もスライドショーも演出もめちゃくちゃ凝って。こんな素敵で面白い披露宴初めてって友達に言われるぐらい。イベントとしては大成功した。イベントとして。

 

 

 彼の事は勿論好きだった、でも、結婚というものにもっと慎重に向き合うべきだった。お金が貯まったら結婚しようと話して数年。その数年で予算が貯まったその時、何か、湧き上がる感情よりも「そういう話だったよね?」という、約束は守る、という義務感が先に立ってしまっていた。でもその微かにザラリとした感覚に気付かないふりして、結婚した。ふりをしたのは、私だ。だって、幸せになりたかったから。良かったねって皆から祝福されたかった。世間的な結婚適齢期という、見えない縛りで焦りを勝手に感じすぎてしまったのもある。

 

 

 実家では当時妹も弟も学校に行けてなかったりうまくいってなかったりで、実家の空気はどんよりしていた。せめて長女の私は両親にグッドニュースを持っていきたかった。下の2人でいっぱいになり、親戚にも肩身が狭い心境でいた親に迷惑を掛けたくなくて、学費の安い夜間大学を選んで、留学費用もバイトで貯めて。自立した方が金銭的に迷惑がかからないだろう、と家を出た私。数年後、私にも貰い手がいたよ、と結婚して喜ばせたかった(私的には凱旋帰国みたいなイメージだった)

 

 

 けど、最悪の形で裏切ってしまった。豪華な披露宴から2年足らず。職場に苗字が変わる報告をこのショートスパンで2回。当時の生徒さんにはもう伝えなかった。女性ってなんで苗字変えないといけないんだろな。しんどいのにたくさんの手続きで傷口を否応にも抉られる。治りかけた傷にまた気軽に触られたり。紙を1枚出せば終わりでは無いのだ。

 

 

 義母との同居やそれに起因する子作り問題、出張で不在がちな彼の仕事、諸々の事がついに私のキャパシティを超えてしまったのだ。共同生活の中で、家族として受け止めきれない価値観の乖離を痛感したのと、これから一生寄り添っていかなければならない未来に目の前が暗くなったし、彼は最終的に私の味方ではなかった。そりゃあそうだろう、分かっていなかったのは私だった。

 

 

 家庭に入って欲しい願いとは裏腹に仕事を辞めようとしない私に向けられる、彼からの日々の嫌味も、ジワジワと私を蝕んでいった。愛してるよと沢山言ってくれた人だけど、同じぐらいの量、私が息苦しくなる言葉も口にした人だった。

 

 

 当時、私はその彼の言葉の圧力を上手く説明できなくて、私の意志で、我儘で別れたような形になっていたけれど。後にこれだ!と思う単語が出現していたのだ。

 

モラハラ

 

 当時からこの単語が流通していれば、どういう感じで嫌な気持ちになったのか、なぜ一緒に居られなくなったのか、より説明できたかもしれない。でもなかったから仕方ない。彼をそう駆り立てた自分にも責任がある。私の我儘で全てが崩れた形になった。

 

 

 大抵の感情を抑え込んできた私に、人生で最初に自分の心から湧き上がった、私はこうしたいんだ!という感情は、「もうここにはいられない」という負の意志であり、親にかけた最初で最大の迷惑と我儘が、この離婚だった。

 

 

 周りを見ながら自分の感情に蓋をして、自分はこうするべき、こうあるべき、そればかりに目を向けて生きてきた最大のツケが押し寄せたのだ。誰しもそんな綺麗に生きられるわけじゃないのに。

小傷を避けてきた私の人生に、真正面からでっかい✖️が刻まれた。

 

 

 当たり障りなく生きるのって無理なんだなって、そんな当たり前の事を大人になるまで学ばなかった私。史上最大に親族にも友達にも職場にも大迷惑をかけた。この幸せにしたかった両親に迷惑をかけたと言う事実が、妹よりも弟よりも表向き順調に育っていたはずの私がそれをしでかしてしまったという罪悪感の波が、10年位、何度もフラッシュバックして、突然涙が止まらなくなったり、前の家族の夢を見たり、心の凝りとしてずっと残っていた。

 

(本当にずっと暗い...ごめんなさいwもうすぐ夜明けかも)

ネガティブ駅始発2

 この自分に対する根本的な自信のなさは根深くて、今も続いているけど、20代後半までは確実にあった。大学時代に付き合った彼氏にも、無視されたり手作り弁当を捨てられた事があった。理由は、「怒らないし我儘も言わないし本当の感情をもっとさらけ出してほしかった」と。

 

 今書いてて思ってんけどさ、

何でその事を彼らは言葉で私に言わず、私が悲しむことを、実験するようなことをしたんだろうか。アホだな私、今気付いたぞ。

 

 まあいいや、

とにかく喜怒哀楽の怒のスイッチが切れてる私を、付き合いが深くなる人ほど、不気味だと思ったのかもしれない。

 

 

 怒ってないわけじゃない。怒ってそれを表明することの意味がピンと来てなかっただけなんだ。だって怒っても何も解決しないじゃない、嫌なことや困ったことがあったら解決法考えるし、人に当たり散らして人を嫌な気持ちにさせるぐらいなら、その前に問題解決をしたい、当時そういう考えだった。人に怒りをぶつけることで嫌われるんじゃないかという不安もあったし。

 

 

 運動が出来なすぎて球技でチームになった人に嫌がられたり、それが発端で学校でいじめられた時も、親に言わなかった。悲しませると思ったし、毎日学校に親が来てくれるわけでもない。結局自分で処理しないと、一旦大人に解決してもらったとしても私の学校での日々はその後も続くからだ。

 

 

 高校、大学時代は、容姿をなんとかしたくて、せめて体だけでもなんとかしようと(顔は変えられん)色んなダイエットをしてみた。でも私が辿り着いた悪魔の方法は、食べた事をなかったことにする事だった。ストレスで過食、罪悪感、リバース。リバースしたらノーカロリーだと思ったから、好きなように食べて、戻す、その日々だった。右手の甲にタコが出来た。歯がボロボロになって、近所じゃない遠くの歯医者に通った(原因はプロが見たら一目瞭然だったろう)

 

 

 そんな誰にも言えない背徳を抱えていた大学時代だったが、彼氏ができ、彼との生活の中でこの摂食障害は和らいでいった。吐くタイミングが見つけられないのと、彼が私の外見にこだわりがなかったのもある。

 

 

 しかし彼は家庭事情が複雑で、義母と3人で暮らすことになった。私はそれでも大丈夫だと思っていた。「私なんかと結婚しようと思ってくれる人がいるんだ、感謝しないと。そんな人一生現れないかもしれない。」基本的にそう考えていたので、どんな条件ものみこめると過信していた。

 

 

 結果、なんでも抱え込み、我慢し、自分の中で解決しようとするこの性格が災いして、この結婚は失敗した。

 

(ここからが一番病んだ。続く)

ネガティブ駅始発

岡嶋さんの本を読んで、自分の過去と夢について、少し思いを馳せてみた。

馳せてみたけど、書けば書くほど暗い話しか出てこない()。マジでネガティブ始発の人間だなと改めて感じたよ。よく今元気に生きてるなあ...

ツイッターの印象と多分全く違うと思うし、どよーんとした気持ちになるだろうから、ここからはどよーんとしても大丈夫な人だけ読んでください。

大して波瀾万丈な人生でもない。毎日生きるのが大変な人はごまんといる。でも私なりにしんどかった事を、書いてみました。

 

 

 

 子供の頃の私は何にでも理由や許可を欲しがっていた子だった。テーブルに置いてある晩御飯もこれ食べてもいい?といちいち確認したり、何か欲しいものがあったら、〇〇で必要だからとか、〇〇ちゃんに持っていったほうがいいって言われたから、とか、自分で判断したりやりたいと思う感情を正直に表せない子だった。

 

 

 今になるとその性格の理由はなんとなくわかる。自分の意見や思うことにとにかく自信がなかったから。自分が基準で考えたことの正当性を信用できなかったから。

 

 

 容姿も妹とよく比べられていたし、ファッション系の会社で働いていた祖父はシビアで率直な人だったから、家族の食卓の最中でも平気で妹を絶賛し、私には触れる事はなかった。鈍い自分でも、妹との外見の違いを意識せざるをえなかった。悔しいとかはなくて、ただ、事実をしょっちゅう突きつけられて、虚しかった。将来にも期待されてないことも、子供心に悟ってしまった。つまらない子だと思われているのかなって。本当はきっとそんなことなかっただろう、待望の第一子だったんだから、と今となれば思えるんだけど(実際のところはわからない)

 

 

 とにかく自己肯定感がとても低い子だったので、我儘を言えたり自分の意見をはっきり言っている子を見るたび、何でそんな強く言えるんだろう、自信が持てるんだろう、私には到底無理だなあと思っていた。

 

 

 そういう性格だったので友達を責めるような事はまずなく、言うはずもなく、喧嘩することもなかった。少々嫌なことがあっても全部我慢していた。と言うより基本自分に非があるんだと思っていた。人を責める、責めようという発想がなかったから。

 

 

 ある時急に3人グループの他の2人から無視をされ始めて、理由がわからなくて、2人は今機嫌が悪いのかなとか、私がまずいこと言ったのかなとか、モヤモヤしながら数日過ごして、何を話しかけてもスルーされることに耐えきれず、泣き出してしまったことがあった。

 

 

 その時2人が言ったのは、「ひとみちゃんが全く怒らないから、だから、どうしたら怒るのかと思って、無視をした」と言われた。2人には、私が不気味だったのかもしれない。わがままを言わない、文句を言わない、友達なのに本音で付き合ってない、みたいな。

 

 

 違うんだけどな、って、私がそういう性格である理由は当時はうまく説明できなかった。でも泣いたことで私にも感情があるという事は伝わったらしく、その後同じような無視をされる事はなかった。

 

(暗いけどまだまだ続くw)

岡嶋かな多さんの「夢の叶え方はひとつじゃない」 を読んで。

 岡嶋さんは、多分そうだろうと思っていたけれど、本の冒頭を読んでやっぱりな、と思ったしそれを最初に書くところが、きっと私はこの本を好きになるだろうなと直感した理由の1つでもあった。

 

 

 こんなポジティブなタイトルの本の2行目が最強にネガティブで、その1行の文章が私の心を串刺しにしたからだ。

 

 

 彼女もまた自分に自信が持てなかった過去があって、沢山の挫折を経験した先に今があるのだと。この本を読んだって夢が叶うわけじゃない、そうはっきり書いていたことも、とても好きだった。

 

 

 愛ある言葉は素敵だけどリアリティーも必要。夢を追うのも叶えるのも失敗するのも主人公は自分。そして「夢」とはいえ、私たちは現実世界の中でその「夢」に形を持たせようとしているんだから。自分が自分の人生を生きるための参考書、心のバイブルのような本になると予感した。

 

 

 読んでみて、文章はもちろん素晴らしいんだけど、各チャプターの見出し小見出しがパンチのあるコピーライトのようで、それを見ているだけでもかなり楽しい。岡嶋さんの紡ぐ歌詞を考えたら当然のことなんだろうけど、心に残るフレーズを生み出す天才なんだなぁと改めて思ったよ。言葉の力ってすごいね。

 

 

 そして見落としがちなのだけど、表紙やタイトルの文字、中の文字の大きさもとてもいいなと思った。青少年に読んで欲しい気持ちが伝わる、手に取りやすい装丁で中の文章も読みやすい。最近読書をする子も減っているけど、普段活字に読み慣れない子でもこれはスッと入っていくのではないだろうか。

 

 

 普段ブロック体ゴリゴリの白地に黒文字ドバーンのビジネス書ばっかりある私の本棚に、とても爽やかで可愛らしい本が仲間入りして嬉しい。本棚が若返った気がする()

 

 

 この本には音楽の世界で夢を叶えたい人は特に現実的に参考になる部分がとても多いと思う。具体的に音楽に携わるお仕事の種類がリストアップされていたからだ。聞いたことがない、知らなかった職種もあった。

 

 

 音楽が好きだから歌手になりたいバンドをやりたい、もちろんそれも素敵だけど、好きだから、の後の選択肢にいろいろなものがあることを教えてくれる人はなかなかいない。知る機会も少ない。時々中高生からの相談コーナーがあって、その質問も具体的なものからざっくりしたものまでさまざま。回答は岡嶋さんの愛に溢れかつリアルで、とても参考になるものだと感じた。

 

 

 好きな事、得意な事、需要のある事。この3つの要素に関しても言及されていた。これは本当に永遠のテーマだと思う。

 

 お仕事もそうだけど家庭の事でもそう。家事や育児は100%需要のあることなんだけど、好きでも得意でもないんだよなぁ()、だから腰が重くなるんだろうな。その理由が分かったことにちょっと個人的にスッキリしている。需要のあることを少しでも好きになったり得意になれたりするように、工夫を(無理のない程度に)すればいいのだ。生活面でも良いヒントをもらえた気がした。

 

 

 著書の中で、岡嶋さんは自分自身を電車に例えて、「ネガティブ駅始発の、ポジティブ行き」とおっしゃっていた。この言葉がとても私に響いた。私もびっくりする位ネガティブ始発だから。もうドロドロの沼の底が出身で、もう沈む底がなくなったから開き直って上に向かって這い上がろうと決めた魚だから。

 

 

 私は今の自分が割と好き。壮大な夢はないけど、身の回りで叶えたい事もいくつかあって、目指すのを楽しいと感じている。そう心から思えるまでに40年以上かかったけど、でも人生のひと時でこの状況になれただけでも私には大きな変革だし奇跡なんだよ。

 

 死ぬまでにポジティブな自分に巡り会えたし、少なくとも昔より自分を愛せるようになった。友達も主人も家族も大好きだけど、今こんなにアクティブになった直接のきっかけは確実にWEST。

ラジオの悩み相談メールで淳太君に言ってもらったあるひと言のおかげ。

本当に感謝してる。

 

 

 もし子供の頃の、学生の頃の私に伝えてあげられるなれば、

 

ちゃんと自分を愛しなさい

自分の感情に向き合いなさい

 

そう伝えたい。これが出来ていたら、少し未来は変わっていたかもなぁ、そう思う。

 

 

誰も興味ないと思うけど()自分がいかにネガティブ人生を過ごしてきたか、次にちょっと書きます。書いて、供養したくなったから。